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VOL.36 JUNE 2006

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教授
寺下 明

◆1 学ぶことの楽しさ

 日本人が慣れ親しんできた『論語』を紐解くと,その冒頭は次のようにはじまっています。「学んで時にこれを習うは,また楽しからずや」。
 孔子は,学問を修めるのは難しいことであるが,その間には喜びがあるということを真っ先にあげました。
 そのお蔭でしょうか,わたしたちは,学問を重視し教育にはたいへん熱心です。子どもが,学校へ行き帰ってくると,今度は塾へ行ったりします。おとなになっても大学通信教育で学んだりします。
 通信教育で学ぶ皆さんが,熱心にスクーリングに参加されている姿には,しばしば胸を打たれることがあります。これもひょっとしたら,儒教の手柄なのかなと思ったりします。
 ところで,わたしたちは,一見,自分の生活に直接役に立つとは思えないような学問を,なぜ大学で学ぶのでしょうか。それは,つきつめていくと,知に対するエロス,知的好奇心のようなものだと思います。
 この知ることに対する愛は,都合のいいことに,わたしたちが知をたくさん得たからといって,それによって誰かが知を失ったり,何かを奪われるということにはなりません。むしろ,知が深まることによって,他者をもより深く理解する道が開けるような気がします。つまり,自分も他者も幸福になる可能性が大きくなるわけです。
 孔子の「学んでこれを習う」の「習う」には,当時の中国では,本を読んで独学したあと,師や仲間とともに話し合ったり,議論するという意味があったようです。テキスト学習やレポート学習を終えたあと,スクーリングで,先生方や仲間と話し合ったり,意見交換ができます。「友あり,遠方より来る,また楽しからずや」。孔子の言葉の意味には深いものがあります。

◆2 自己実現としての生涯学習

 ひとが生涯にわたって学習し,自己実現(self realization)をめざすという意味での生涯教育論は古今洋の東西を問わずあったようです。
 たとえば,古代のインド仏教は,人生を4つの時期に分けて考えました。
 学生(がくしょう)期。
 家住(かじゅう)期。
 林住(りんじゅう)期。
 そして,遊行(ゆぎょう)期です。
 学生期は人生の春であって,勉強したり,修行したりする青年期にあたる時代です。
 家住期というのは,人生の夏である壮年期のことであって,仕事に励んだり,家庭を築いたりする働き盛りの時期です。そして,家庭や社会の務めが一段落したところで,林に住む林住期に歩み入ります。
 林住期というのは,人生の収穫を楽しむ時期です。汗が引いたところで,一息ついて,あらためて自分自身の人生を思いやったり,自然に心身を浸したり,学問や芸術を楽しんだりします。そうして,よく熟れた人生の果実を存分に味わい尽くせば,心残りなく,冬を迎えられます。
 遊行期は,ぶらぶらするのではなく,巡礼に行くような境地でしょうか。祈りや瞑想をしながら,煩悩(ぼんのう)を洗い流し,しだいに透明になって,やがて来世に旅立ちます。
 しかし,わたしたちは,古代インド人のようにこれら4つの季節をきちんと分けて生きることは難しくなっています。むしろ,現在のわたしたちは,4つの季節をごちゃまぜにしながら生きているような気がします。
 大学通信教育は,高校卒の学力があれば年齢に関係なく,いつでも入学できます。あるいは,大学をすでに卒業したあとで,他学部,他学科に入学し直して,目的に応じて再学習する場合も増えています。最短の期間で卒業をすることも可能であり,仕事の関係でそれが無理な場合は,自己のペースに合わせて,もっと長期に学習することもできます。充実した林住期にいても,学生期に戻って自己実現のための学習を始めるわけです。

◆3 成人の特性を活かした学習

 よく,「六十の手習い」とか「年寄りの冷や水」といわれるように,年をとってからの学習はあまり効果がないといわれることがあります。たしかに,年齢とともに,新しいことを覚えるのが難しくなったり,ひとの名前が出てこなかったりすることがあります。だからこそ,学校時代の若いときに集中的に勉強を,という考えになってしまいます。はたして,成人期以降の学習能力は,ほんとうにそうなのでしょうか。
 エーリッヒ?フロム(Fromm,E.)は,『正気の社会』のなかで,生涯学習の可能性について次のように述べています。「7歳から18歳までの年齢は,読み?書き?計算および言葉を学ぶにはもっともよい年齢だが,歴史?哲学?宗教?文学?心理学などの理解力を必要とする科目では,経験の少ない若い年齢では限界がある。成人のほうが,高校生や大学生の年齢に比べて,記憶するよりも,理解するという意味で,学ぶのにはるかに適している」。
 心理学の研究によれば,短期記憶?概念形成?情報処理?瞬発力を要する学習などは,青年期をピークとして,その後しだいに低下していくと考えられています。一方,語彙(ごい)?算術能力?理解力?道徳性?判断力などは,成人期をすぎても低下しにくく,むしろ上昇も期待される知力です。脳科学の分野からも,脳の神経細胞をつなぐ情報伝達ネットワークであるシナプスは,百歳になっても成長するという報告があります。知的能力はいくつになっても伸びると考えていいのではないでしょうか。
 大学通信教育を生涯学習の一環としてより充実させるには,大学卒業後の「成人学習者(adult learner)」あるいは,「社会人学生(mature student)」の特性を活かした教育のあり方を考えることが澳门赌场app_老挝黄金赌场-【唯一授权牌照】だと思われます。すなわち,人生経験や生活経験が蓄積された学習者に対し,カプセル化した「学校知」の伝達工場のイメージを返上して,人間の根源的な活動としての知の探求のおもしろさや,新しい知を創り出していく喜びが味わえる場を保障することです。

◆4 成熟した知で社会に貢献

 成人期以降を形容することばとして,加齢や老齢,高齢化などには,ネガティヴな意味がこめられているようです。人間の生涯発達をいかに考えるかは,エイジングとしての人間の変化をどう考えるかにかかってきます。
 カール?ユング(Jung,C.G.)は,人生後半の変化を,衰退としてではなく,成長?発達と考えました。そして,人生前半の発達が,労働と愛による社会的地位の確立に向けられるものだとしたら,後半は,自分の内なる声を聞きながら,自分自身の姿になっていくものととらえました(『ユング心理学入門』)。
 かつて日本では,老いは,成熟のイメージとして評価されていたようです。老中とか家老は,登りつめて最高の地位についた人です。落ち目になっていくイメージの「老い」より先に,プラスの「追い」というニュアンスがありました。また,吉田兼好は『徒然草』のなかで,若いときは「血気うちにあまり,心,物にうごきて,情欲おほき」ため,我が身を危うくしがちだが,老人は「淡く疎かにして,感じ動く所」がないため,冷静で,無用のことをしないと述べています。
 いま大切なのは,成長より成熟。若さだけではない,老いや病なども含む弱さの論理ではないでしょうか。成熟した人間ほど,満足を求めていくと,キリがないことがわかっているはずです。不足にこそ人間の安定があるということを知っています。無理をせず,自然のリズムで年を重ねていった時,かえって豊かな老いの実りがあるのだと思えるのです。そして,その実りはおのずと社会に還元されます。

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